ゆたかわ雑記

有象無象

先祖の話

柳田國男ではありません。私の父方の先祖の話です。

 

以前、Twitterに父方の祖先が山賊で猪に祟られているという件について呟いたことがありました。

その時にも、山賊というと犯罪集団にも等しい、いわば社会的には恥ずべき集団であると捉えられてもおかしくないのに、どうして先祖が山賊だなんて話がこの現代まで伝わっているのだろう?と疑問に思っていました。(きっと山賊の定義も時代によってまちまちで、当然善い人もいれば悪い人もいるものだとは思いますが)

 

年末実家に帰省した折、母にじっくり話を聞ける機会があったので記しておこうと思います。

はじめに記載しておきますが、「父方の先祖が山賊であった」ということは確定事項ではありませんでした。私の想像にも反して、結果的に捉え方によってはスピ系のお話になってしまったのですが、個人的に興味深い内容もあったので記録しておきます。

 

まず、私が父方の先祖が山賊であるという話を初めて聞いたのは、父方の親戚の誰がしかの葬儀のお手伝いで、親戚の家に集まったときでした。当時私は小学3〜4年生くらいで、前後の記憶はかなり曖昧です。父方の親戚は、人数はそれなりに多い割に我々との付き合いは薄かったもので、正直どなたのご葬儀だったのかすらはっきり覚えていません。(父方の祖父の兄弟の誰かだったとは思う。)それは葬儀の手伝いもひと段落し、親戚の女性陣が休憩していた時に聞いた話だったと記憶しています。その場にいたのは外から嫁いだ女性やその子どもたちばかりで、父方の家についてあれやこれやと噂をしているような状況でした。

その時に聞いた話をまとめると以下のような内容でした。

・父方の先祖は山賊のようなことをやっていた

・先祖は山の掟を無視し、山の神の遣いの猪を殺した挙句に碌にお祀りをしなかった。

・このため父方の家系はその猪(もしくは山の神)に代々祟られている。

・祟られるのは男児が多い。特に水難事故で亡くなる子どもが多い。

・私の兄が幼い頃に精神病棟に入院する事態が起こり、これも祟りでは…云々。

 

当時から日本の伝説や昔話などが大好きだった姉と私にとって、これらの話は聞いた時点でもかなり魅力的な話でしたが、なんとなく女性陣だけでヒソヒソと話していたこともあり、父本人に事の真偽を確認するのはなんとなく憚られて、あまり深く詮索することもありませんでした。(そんなことをフランクに聞ける父でもなかったので)本家の男児が狙われやすいという内容だったこともあり、あまり恐怖は感じていませんでした。

当時の私は「山賊」について確たるイメージも知識もなく、忍たま乱太郎に兵庫水軍の第三共栄丸さんという海賊のおじさんが登場しますが、海賊も山賊もフィールドが違うだけで同じようなものだろうと思っており、自分の先祖についても「第三共栄丸さんみたいな感じ」だと思っていました。というかぶっちゃけ山賊云々よりも、猪に祟られた家系である事の方がインパクトがありました。

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第三共栄丸さんは普通にめちゃくちゃ善良

 

年月を経て歴史諸々を学ぶうちに、山賊は(海賊も)「第三共栄丸さん」みたいなほっこりイメージの存在ではないことがわかってきました。山賊というのは、山の通行人などの金品や衣服を奪い、時には殺人も犯し、現代の観念では確実に犯罪となる所業を行なっていた存在で、当時でもおそらく一般的にも罪という認識があるからこそ賊と呼称されていたのでしょう。もちろん山賊にも、日中は農民として生活をしているとか、色々な形態があったかもしれないし、あまりイメージを固定するのも良くない気もしますが。

ただ、こうなると子々孫々には基本的に善いことしか伝えないといった人類の性質上、先祖が何百年も山賊として生計をたててきたような家系(?)でもない限り、現代までこんな話が伝わるかしら?と疑問に思っていました。

 

そこで、前置きが長くなったのですが、母に真偽のほどを確認したところ、この「父方の先祖が山賊である」という話は、父方の親戚などから聞いた話ではなく、「巫女さんの託宣によるもの」であることが判明しました。

私自身聞いた時にはなんじゃそりゃ、となりました。

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母の話によると、時は35年程前の平成初期に遡り、先に記した、私の兄が幼少期に精神病棟に入院する事態に陥る事件に端を発します。

35年前というと、私の家族はちょうど父の転勤で東京から佐賀に引っ越しをした頃でした。当時、幼稚園生であった兄は、環境の変化その他諸々が原因で精神を深く深く病み、精神科に入院する事態となったそうです。この事件は我が家にかなりの傷痕を残していて、この時まだ生まれていなかった私ですら感じる程度には、その後の家族関係にもわりとデカめな影響を与え続けています。

そんな幼い兄の入院だけでも家族にとっては大事件であるにもかからず、他にもよくないことが続いたそうで、「これは何かがおかしいんじゃないか?」と疑問に思った母方の祖父母が、伝手を頼りに評判の良い巫女さんに診てもらうことを母に提案したそうです。母方の祖父母は代々熊本の阿蘇に家があるのですが、携帯もネットも普及していない時代に人伝てに、「評判の良い巫女さん」の情報が山奥の阿蘇にまで入ってくるものなんだなということにまず驚きました。

途方に暮れていた母は藁にもすがる思いで、巫女さんに診てもらうことを決意し、彼女がいるという熊本の水俣まで祖父母と兄とを連れて訪ねたそうです。

その「評判の良い巫女さん」のこともかなり気になったので色々と母に質問したのですが、巫女さんのお宅は極々普通の民家だったそうです。巫女さん自身も特に変わったところのない普通のおばさん、といった感じの方だったと言っていました。

その巫女さんに診てもらったところ、繰り返しになる部分もありますが以下の見立てを話してくれたそうです。

・父方の先祖は山で山賊のようなことをやっていた

・山の神の遣いである猪を殺したが、山のしきたりを無視してお祀りをしてくれなかったので猪が怒り、悲しんでいる

・父方の家の者にも何度もお祀りをしてくれるように働きかけている(祟っている)があの家の者には全然伝わらない

・母方の筋はまだ話が通じそうだったので祟っている(?)

又聞きな上、母の記憶も古いのですがざっくりこんな感じの内容でした。

とりあえず原因(?)が判明したので、その場でお祓いのようなことをやり、巫女さんの助言に従って、猪の好物であるさつまいもなどの芋類と水を低いところ(猪が食べられるような位置)にしばらく供える生活をしばらく続けたところ、兄も回復し、極端に悪いことも起こらなくなったとのことでした。

この見立ての結果について、母から父にも話をしたところ、父が「そういえば親戚の中で水難事故で亡くなった子どもが何人かいる」と話していたそうで、父は父で思い当たるところがあるような風だったということでした。

基本的に余程ファンシーなイメージでもない限り先祖が山賊と聞いて喜ぶ人はいないと思うので、母もあまり深くは聞けなかったのではないかと思います。(母方は比較的由緒正しい家系で、コンプがあった父に対してはなおのこと。)父方の親族の皆さんは、信仰心とかがないわけではないのだけれど、霊感とかそういうの一切ナシ!と言われてもまあ、納得できる感じではありました。

 

ということで、私が最初に「親戚から聞いた」と思っていた話は母本人が話していた可能性もあるお話でした。まあ、母も義姉の前で私が今回ヒアリングした内容をそっくりそのまま話していたとも思えないので、実際はどうだったかわかりませんが。

結果的に真偽のほどもわからないわけですが、当時ただただ途方に暮れていた母にとってはそんな話でもどれほど救いになったことか知れません。全体的にそんなことある?と思うような話でしたし、曖昧な部分もたくさんありますが、母自身に余裕がない状況であったことも想像に難くないので致し方なかろうと思います。(だって当時の母は今の私とほとんど年齢が変わらない(!))

 

こうなると気になってくるのは父方の先祖の話よりも、水俣の巫女さんの話です。

一体何者なんでしょうか。母方の祖父は熊本県下で長らく校長を務めていたので、色々な情報が集まってきてもまぁ、おかしくはないか、とも思えますが。水俣に行けば何かわかるでしょうか。平成初期の話なので、当の巫女さんがまだご存命かどうかはちょっとあやしいです。母方の祖父母も、ついでに私の父も鬼籍に入っている今、話を聞けるのは母ひとりなのですが、おそらく水俣訪問時は祖父に頼りきりだったと思われるのでこれ以上掘ってもあまり何も出てこなさそうな気がします。

 

猪についても、末代まで祟る猪ってそれはもう山の神レベルの存在なのでは?とか(鎮西だしどうしても乙事主様を想像してしまう…)、そこまで祟っておいて、お供えで済むわけないのでは?など、仮に巫女さんの見立てが本当であったとしても疑問はいくつも浮かびます。父方の姓は熊本に多いものなので、猪がいた山もやっぱり熊本や九州内の話なのかなと想像してみたり。山賊についてももっと勉強しないといけないですね。

 

なんにせよ、どんな些細な話でも父母・祖父母が存命なうちに聞いておかないとなーーーんもかんもわからなくなるものです。却ってその方がいいこともありますが。昨年母方の祖母が他界したので尚更このことを痛感しています。せめて母からはなるべくたくさんのことを聞き取っておきたいと、思いを新たにしました。