それは2022年の11月下旬のこと。
その日は外回りにも出ず、職場でデスクワークに勤しんでいた折、ある考えが天啓のようにふわりと私の頭に舞い降りました。
「箱根八里って歩こうと思えば一日で歩けるんじゃないか?」
以前からほんのりと箱根の関所あたりを観光してみたいと思っていたものの、鉄道が通っていないエリアなのでなんとなく足が向かないでいたのですが、この考えが閃いてからの行動は我ながら早かった。
歩いた人の体験談やルートを調べ、江戸時代の一般人の歩行距離なども調べ。
私は登山経験が3回ほどしかなくその3回とも同伴者がいたので、本当にひとりでほぼ山道を歩き切れるのか?という不安がありました。
まずは体力づくりからと思い、夜のお散歩を開始。そのうち帰宅してから歩くのでは効率が悪いことに気づき、職場から毎日徒歩で帰宅するように。徒歩帰宅に加え、練習で日光街道を十里程歩き、そこそこの自信もついてきた頃に箱根八里に挑戦しました。
決行したのは昨年の5月で、チャレンジから1年近く経過してはいますが、本当に歩けるのか、どれくらい時間がかかるのか、ルート等々、実際に歩いてきたことについて記録に残しておこうと思います。
私のように先達の記録を参考にする人がいるかもしれないし。
まず諸々調べて、初心者の私が箱根八里を踏破するには休憩を含めても大体10時間くらいはかかるということが判明しました。始発に乗るのもしんどいので仕事を終えて金夜から小田原に前泊することに。
お宿はホテルとざんコンフォート小田原というビジホ。お値段5,000円也。
いよいよ2023年5月27日の朝。お天気は快晴。前の晩は早めに就寝したものの、なんだかんだ出遅れ7時半すぎに出発。城下町らしいマンホールが素敵でした。
ホテルから小田原宿の本陣あたりに向かう道中にも既に魅力的な建物があり、ついつい寄り道。
実はまともに観光したことがないエリアなので、そのうち小田原宿メインで再訪したいところ。だるま料理店とか絶対行きたいじゃんね。
神社があったのでこちらも寄り道して道中の安全を祈願。小田原の総鎮守 松原神社でした。ご祭神は日本武尊・素戔嗚命・宇迦之魂命と、とてもメジャーなみなさん。
小田原宿の本陣付近に到着。小田原宿なりわい交流館という古い建物があり、箱根八里の看板も設置されていました。なりわい交流館は昭和7年建設の網問屋の店舗を再整備したものだとか。当然開館時間前だったので、中はまた今度。看板を読みつつコンビニ飯で朝ごはんを済ませ、気分が高まったところで箱根八里の行程をスタート。
歩き始めた直後から、あるわあるわ良さげな建物たちが。小田原のポテンシャルがやばすぎる。流石は大きな宿場町です。超有名なういろう屋さんも開店時間前だし、今回の旅はあくまで箱根八里の完歩が目標なので、ここらで寄り道はせず建物たちを尻目にずんずん歩きます。
箱根板橋を過ぎたあたりから山口の街道らしい雰囲気が出てきました。
とんでもない民家があった。 調べてみると小田原板橋・旧内野醤油店という建物。今後市で耐震改修工事を行うそう。改修後は見学できるようになるかしら。
風祭の一里塚。榎の木や土まんじゅうは無い代わりにお地蔵さんが祀られていました。手前の積石は無縁仏供養でしょうか。
箱根登山鉄道の線路を乗り越えたり汽車に追い越されたりな道中。
川あるとすぐ写真撮りがち。
日本初の有料道路の案内板。明治8年の開通から5年間通行料をとっていたそう。思った以上に古かった。往時の活気が想像されます。
山崎の古戦場の案内板も。こちらは古戦場というからにはもっと古い江戸時代以前のものかと思ったら、明治元年の箱根戊辰の役の史跡でした。
謂れの不明な石仏が。何もわからないけどコロコロしててなんかいいね。
こういう公共サイン?あると高まる。いいぞ、どんどん出してくれという気持ち。
箱根湯本が見えてきました。この辺りは登山鉄道からも見たことがある景色。三枚橋を越えて早川を渡ります。
箱根湯本駅のあたりは休日ともなると観光客で大賑わいの大混雑ですが、旧街道は駅から離れた裏道なので落ち着いてゆっくり歩けます。
またもや神社があったので寄り道して交通安全を祈願。白山神社でした。菊理姫が降臨したという伝承のあるよくわからん磐座があって非常にアツい。狛犬も独特なフォルム。
ようこそ箱根へ言われとるし弥坂湯さんは午前中から営業していたけれど…入湯している時間はないのでこちらも泣く泣く通過…。
はちゃめちゃに民家にある展示物。炭化木と火砕流で18,000年前に箱根から噴出されたものらしい。平成2年に見つかったそうなので家を建て替える時に出てきてしまったものか。誰でも見学できるように整備されているのありがたいしおもしろい。
突然旧街道の入り口が現れました。ここまで綺麗に舗装された路面をひたすら歩いてきましたがこの先255mは旧街道の面影が残っているとのこと。
確かに石畳の旧道が現れました。段ボール突っ込まれとるけども馬の水飲み場などの史跡もあり。
これまた謂れのわからない石仏?と須雲川集落の看板が。街道の宿場と宿場の間に集落を設ける必要があったのね。それだけ箱根路は頻繁にメンテが必要だったということでしょうか。高速道路のNEXCOみたいな感じかな。
寄木の細工がある民家のお玄関。
鎖雲寺というお寺。「箱根霊験記」で有名な勝五郎と初花のお墓があるとのことで、箱根霊験記の内容は不勉強でよく知らなかったのだけどお参りしました。
浄瑠璃や歌舞伎で有名なお話なんですね。いざり勝五郎というと聞いたことある気がする。帰宅後に調べてみると、父の仇討を果たそうとする勝五郎と、それを支えた妻初花のお話とのこと。箱根権現の神力と美しき貞女初花、仇討の成就、箱根の温泉や自然薯などの名物も登場…といったいろんな要素がてんこもりに詰まったお話のようで、案内板に「浄瑠璃などでご存じ…」と書かれているのも納得。
おっきなワンチャンおった。穏やかないぬ。
女転ばし坂の碑。
やたらお参りしている人が多いなと思ったら新宗教の施設でした。鳥居がすごくてこれだけでもこちらの宗派の世界観出てるなと。
宗教施設をすぎると人気がなくなり、通行するのは車ばかりに。箱根八里を歩いた人の体験記を読むと、途中ちょいちょい歩道がない区間があって危険という記載を見たのだけど、確かに歩道がなくなってきたし、車はそこそスピードを出してくるので歩くのにも気を遣いました。
旧道の看板があったので車道から脇道へ退避。江戸時代の石畳の区間が残っていること、事前にリサーチできてなかったのでひとりでめちゃくちゃテンション上がった。最高じゃないか。
石畳は角が取れてつるつるだったり、たくさんの人が通ってきた道。雨だとめちゃくちゃ滑って危険ということは事前調べでわかっていたのだけど、本当にこれは雨だったら滑って打ち所が悪ければ最悪死ぬ可能性あるなと思った。防滑性だいじ。雨じゃなくて本っっっ当に良かったなと。
お茶屋さんの跡地。建物が建っていたところとか、人の営みの痕跡が完全に消えるのにどれくらいの時間がかかるんだろう。
一度車道に出てまた旧道に戻る。
素敵な沢があり。大沢川というらしい。蟹は見つけられず。
石畳の構造や排水路の案内板。勉強になる。人の手が加わってないところがほとんどないんだなということを改めて実感。さくさく歩いてきているけれど、この道を作るのにも誰かの膨大な時間と労力がかかっている。排水などの工夫もとても興味深い。土木構造物は人智の結晶。
大沢坂。「座頭転ばしともいうとぞ」ということでちょっと急な坂道。当時の石畳が最もよく残っている場所らしい。つつじはあまり残っていなかったけど緑がまぶしい。
これもまた道。この辺りで途中おばあちゃんの集団とそれをサポートする若いお兄さんの団体に道を譲っていただいた。流石に小田原から歩いてきたわけじゃないと思うけれど石畳の道、高齢だと結構な難所だと思うのだけどすごい。私もいつまでも健脚でいたいものです。
人里に出てきた。また謂れのわからん石碑なぞあり。
畑宿本陣跡のバス停。寄木細工の工房やお店がありました。
畑宿で少し休憩を取ったのでとりあえずここまで。この時点で11時くらいなので小田原宿から4時間弱かかりました。
続きは、また。